2013-01-01から1ヶ月間の記事一覧
「いやぁ、ごちゃごちゃしていて、だめだわぁ、もう、シンプルでいくか?」日々、朝の作業からはじまる会話。明るくいいかげんで、あっけらかんとしたもの物作り、素人ながらのアバウトな建築も、このフィールドが助けてくれている。いつも「行ったり来たり…
何十年振りかにもう一度見る映画。再び目にしたスクリーンの上には、かって自分の目には映らなかったものが次々と浮かびあがる。時間とともに作品と自分の距離が縮まる気がする。料理も同じ、一度の体験でびんとこなくても、時間の助けを借りてみると、新し…
大変おそくなりました。熊本は荒尾市からのS様からの「あたたかいお手紙」にそして、添えられていた写真と「旅の思い出」と題しての小さなアルバム。なんとすばらしい、高雅な力を頂けるのでしょう。「ゆっくいと噛みしめてみたい宝物」だと語りかけてくれ…
日々のつとめは宿と併設した料理であり一部でもあります。ささいなことも完璧に果たさなくてはなりません。庭の草取り、野菜の皮むき、お茶のおもてなし。そのようなつとめをおこないながら、たくさんの交流の時間のおもてなしを、交わすのです。茶道同様、…
コテージやcafeに飾られる凛とした一輪の花、彼女は店のまわりを探して摘んだ花や、植物.彼女は決して、花屋では買わないという。そう、茶席の花は足でいけるもの、という言葉が思いおこされます。彼女曰く、「植物が芽ぶいて成長し、つぼみが開いてい…
人間が愛の詩を歌うようになったのと同じで、花は愛ではじめたのでしょう。喜びの日も悲しみの日も、花は変わらぬ友達。食卓に、ダンスに、結婚式に、病床の枕もとに、葬送のときに、礼拝にはユリの花を、瞑想には蓮の花を、戦場におもむくには薔薇の花、そ…
昔、小京都巡りがすきだった頃に出あった、岡山の備中高梁市にあるベンガラの街、鮮やかな吹屋の街の壁の色には驚かされ、又憧れていた色、そう、映画八墓村の舞台になった広兼邸もあり、昔の栄華を感じたものだ。そのベンガラの色粉が手に入り、雑用係長の…
音楽を通して私たちに心地のいい調べを聞かせてくれるのは、奏者の腕よりも魂、技術よりも人間そのもの。奏者のよびかけが人間的であればあるほど、私たちの応答も深いものとなります。木霊たちもそんなやさしい、ご家族にクッキりと写っています。いつも不…
ほんとうの美とは、不完全なものを心の中で完成させようとする精神の動きの中に発見されるもの。 最近のゆすの木も、完全さにつながる左右対称をさけるようになってきている。そんな初夢には、心の持つこれからの新たな発見を感じているのかも。そして、お客…
「自分自身が美しくなければ、美しいものに近づく資格はない」この短い一行は天心の一節です。広大なゆすの木の夢が続く旅に出る2013年のスタートのきっかけになる言葉と捉えています。 さあ、今年はどんな年になるか、1年楽しめたら幸いです。今年も自然や…