宮崎コテージ ゆすの木(ひとつらなりのいのちの体感!?) 

本来、その本人が意識しようとしまいと、人間も、ひとつらなりの気につらなっている。にもかかわらず、なぜ、人間はひとつななりの気を感ずることもなく、そのつらなりを阻害するような生き方をするのだろうか。そう「自我」によって阻害されている。 ひとつらなりは、時には歴史の中の親戚と偶然の出会いを起こしてくれます。 姓も同じ、出身も同じ敷地というお客様に出会えて昨日は興奮の連続でした。 気流生命論からのホリステックのひとつならりのいのちを感じた次第です。有難う御座いました。