宮崎コテージゆすの木(心の救済術)

人は変わるか、変われるのか。心が大切な時代、救いのかたちは本当に存在するのだろうか。東日本大震災、いまだ手付かずといって言い状態、2年以上前から災害申請しているゆすの木の一部の川縁すら、宮崎市は一向に手をつけようとしない。明治の線引きが市だの、国の管轄だのと、言い訳ばかり。振り回されるのは被災民のみ。でもこの国を愛する民として、誇りある先人達とともに生きている。最近、都会に行くとくらくらと目まいがすし、皮膚がカサカサ音を立てる。都市は感覚を奪う。騒音、グレイの背広を着た大勢の人々、空調、はめごろし窓、明るすぎる街、鋭い人間がつくる、オフィス、住宅、病院、老人ホーム、学校、なんでもかんでも、のっぺらぼうな均質単純空間になっていく。「おかしいぞ」と思わないだろうか。私たちの生活は「行ったり来たり」ではあるが良いも悪いも含めて、自然とともに、ここにいる。少数が生きのびる道を大切にしたい。つくっていきたい。確かに多数は民主主義の一つの原則であろう。でも地方には、小集団をなして人々がくらしている。この山奥にも、過疎地にも、毎年氾濫するこの川縁にも生きている。
枕木の撤去もおわった。さあサントリーニ島のイメージにもっていけるかがこれからだ。建築は心を豊かにしてくれる。ゆすの木に集い、響きあいたい。この宮崎のためにも。